【インタビュー】市原えつこさんに聞く「あなたのターニングポイントは」Vol.2


――人には、自分だけの物語がある――

人には数え切れないほどの可能性があります。

夜空に無数にある星の中でひときわ煌めく星のように、自分の可能性を信じ、夢に向かって一歩踏み出し、輝き続けている人の原点やターニングポイントはどのようなものなのでしょうか。

今回は市原えつこさん。彼女の物語とは?

展覧会で占い師がいったひとことがフリーランスへのきっかけに

――会社員生活を送りながら、週末は副業のモノづくりに没頭していたという市原さん。悩み抜いた末、フリーランスに転身する意思を固めた決定的な出来事とは一体、なんだったのですか?

それは私にとって、明確なターニングポイントとなる出来事でした。文化庁のメディア芸術クリエーター育成支援という制度で、私と同じく採択されたクリエーターのひらのりょうさんという同期がいます。その同期がパワースポットを題材としたアニメーションの展覧会をするというので、興味があったので足を運びました。

そこに、とある占い師さんがいらしてました。パワースポットというぐらいなので、占い師がいても不思議ではありません。軽いノリで見てもらうことにしました。その頃の私は、会社を辞めてフリーランスの道に進むべきかもしれないと、ぼんやり考えていました。ですからその思いを、素直に打ち明けたんです。すると、「あなたの守護霊が早く会社を出なさいと言っている。脚を一回折って、ゆっくり考えさせようとしている」と言ったんです。いきなりなんてことを言うんだと恐怖に怯えながらも、その日は静かに会場を後にしました。

ヤフーでは週に一度、上司と面談する1on1という制度がありました。あの怖いお告げを受けてから一ヶ月ぐらい経った頃でしょうか。上司から「今日は気分を変えて下の階で面談しよう」と連絡が来ました。準備をしてから階段で下りようとしたところ、最後の一段を踏み外して転んでしまったんですよ。なんとその転倒で骨折してしまいました。それがすごく良い折れ方だったと言うか、厳密にいうと骨が折れたのではなくヒビだったので、粉砕骨折ほど酷くはありませんでした。また社内での事故だったので、きっちり労災もおりる。一番良い条件の骨折だったんです。

――そんなことがあったのですね。そのアクシデントがきっかけで退職を決めたのですか?

冗談のように聞こえるかもしれませんが、本当です。外科で骨が折れているという診断が下った時に、展覧会で出会った占い師のことが頭に浮かびました。

辞表を出したのは、その一週間後のことです。上司には「こんなことがありまして、守護霊がどうのこうのしますもので……会社を辞めさせていただきます」と正直に。当然ながら「ああ……そうなんだね……」という苦笑交じりのリアクションでしたが、とりあえず身辺に起こった不思議なことはちゃんと伝えましたよ。

ここまで来たら辞めても大丈夫だろうという基準を作る

――しかし、その占い師と出会う2〜3年前から、できればアーティストを生業にしていきたい気持ちが固まっていたんですよね?

そうですね、入社2年目頃からそういう思いはありました。漠然とですが、もしかしたら私はアーティストになりたいんじゃないかな、って。そう気づきながらも、「いやいやこのご時世アーティストなんてありえない、普通に会社員をしていた方が安定するはずだ」と言い聞かせていました。でも多分、給料をもらえなくても生活できるという目処さえつけば、いつでも独立しようと思っていたのかもしれません。脚を折った時は少しずつですが、将来の道筋も立ってきていて、あとは退職を決断するにあたり、最後のもう一押しが欲しかった。そのもう一押しが骨折だったのです。

今振り返っても、良いタイミングで独立できたと思いますし、会社を辞めたことを後悔もしていません。とはいえ、会社自体にはまったく不満はなくて、本当に働きやすい環境だったんですよ。ただ、企業に雇用されて就業規則に即して生活しなくてはいけないという足かせを、取り去りたかったんだと思います。

でも、自己判断するか、誰かが背中を押してくれるか、難しいところではあるんですけどね。そこはやっぱり人によって違う気はしますけど、これくらいになったら辞めても大丈夫だろうという基準を自分で設定するのもいいかもしれません。私のケースだと、副業での仕事のオファーが増えたことと、「文化庁メディア芸術祭」で推薦作品として選出されたりと、客観的な評価もついてきたことが大きかったです。その関連で取材の話もいただくようになって、励みになりましたし、それが自分の中での目安やサインになりました。要するに、一人でもやっていけるかも、という筋が一本通ってきたなという手応えですかね。それがあるかないか、だと思うんです。

――もし、コンペで賞が取れていなかったら、どうされたんでしょうか?

難しい質問ですけど、客観的な評価がついてこないうちは生活の目処が立ちにくいという理由で、会社に残って力を溜めていたと思います。これまでと同じように、平日の5日間は会社員として勤務し、休日は趣味としてモノづくりをする。だってお金がないと、なんにもできませんし動けませんから。

会社員という身分の強みもあるので、実力を付けながら時期をうかがっていたと思います。援助をしてくれる人や機関があれば、もっと身軽に動けるのかもしれませんが。

会社員時代に身につけたビジネスの基本が今の私に生きている

――メディアアーティストとして本格的にキャリアをスタートさせたのが、2016年4月。会社員として過ごした5年間を振り返り、何を思いますか?

まず、良い社会経験をさせていただき、ありがとうございますという気持ちでいっぱいです。社会人として当たり前のこと、色々ありますよね。締め切りに間に合わせるとか、名刺交換のお作法とか、連絡は後回しにしないとか。いきなりアーティストになっていたら、身につけられない作法だったかもしれません。それから、チームワークの大切さ。これも勉強になりました。会社員にはみんなで足並みを揃えて目的を達成する団結力やチームワークが求められます。一方のフリーランスは一匹狼で、自分という看板を一人で背負いこむことになります。そうは言っても、モノづくりをする時にはさまざまな人のお力が必要となる。そうした中、どう立ち回れば物事が円滑に進むか、不要な摩擦を起こさないようにするにはどうすればいいのか、そういった知恵も、社会人生活を通じて学ぶことができました。

――会社員の経験がいかされているなと思う場面はありますか。

私は会社員を経たことで、一般的なアーティストよりも企業や行政とのやりとりが比較的得意だと自負しています。そのことでとても得をしたなと思うことも、たびたびありました。なので、私のように多少遠回りしても、最終的に自分のやりたい道へ必ず進むという明確なビジョンを持っているのなら、会社員生活を挟むのも悪くはないと思います。もちろん、近道をする方法を知っていたり、既に道が開けているのなら、それに思い切って飛び込むに越したことはありません。

――フリーランスになって1年半ほど経ちますが、手応えは感じていますか?

はい。やりたいことに対する機動力というかブーストする速さが、副業でやっていた頃とは全然違います。それから、副業をしていた後ろめたさからなのか、人の目を気にしてしまうことが会社員時代にあったので、今こうしてやりたいことに全力投球できるのは、良かったことだと実感しています。

Vol.3では市原さんが考えるこれからの働き方や今後のご自身の展望について迫ります。市原さんは今どのように考え、行動したいとお考えなのでしょうか。
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市原 えつこ
メディアアーティスト、妄想インベンター。1988年、愛知県生まれ。早稲田大学文化構想学部表象メディア論系卒業。日本的な文化・習慣・信仰を独自の観点で読み解き、テクノロジーを用いて新しい切り口を示す作品を制作する。アートの文脈を知らない人も広く楽しめる作品性から、国内の新聞・テレビ・Web媒体、海外雑誌等、多様なメディアに取り上げられている。
主な作品に、大根が艶かしく喘ぐデバイス《セクハラ・インターフェース》、虚構の美女と触れ合えるシステム《妄想と現実を代替するシステムSR×SI》、家庭用ロボットに死者の痕跡を宿らせ49日間共生できる《デジタルシャーマン・プロジェクト》等がある。

2016年にYahoo! JAPANを退社し独立、現在フリーランス。クリエーター事務所「QREATOR AGENT」所属。
第20回文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門優秀賞を受賞、総務省異能vation(独創的な人特別枠)採択。
主な展覧会として、「デジタル・シャーマニズム – 日本の弔いと祝祭」(NTTインターコミュニケーション・センター[ICC])等。

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(聞き手:永原由香子 撮影:竹田靖弘)

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