西畠清順

【インタビュー】西畠清順さんに聞く「あなたのターニングポイントは?」vol.1


――人には、自分だけの物語がある――

人には数え切れないほどの可能性があります。
夜空に無数にある星のなかでひときわ煌めく星のように、自分の可能性を信じ、夢に向かって一歩踏み出し、輝き続けている人の原点やターニングポイントはどのようなものなのでしょうか。
今回は西畠清順さん。彼の物語とは?

幕末より150年続く花と植木の卸問屋『花宇』の5代目で、そら植物園(株)代表のプラントハンター・西畠清順さん。「植物の力を借りて人の心を豊かにすること」をモットーに、世界各地を回りながら年間250件以上もの海外との取引はもちろん、さまざまな企業や団体、行政機関からの案件に応えています。

初めての自分発信『めざせ! 世界一のクリスマスツリーPROJECT』

——清順さんが発起人となった、『めざせ! 世界一のクリスマスツリーPROJECT』が大きな話題となって
いますね。

このプロジェクトは、阪神淡路大震災を乗り越え、記念すべき開港150年を迎えた神戸から、東北、熊本、そして世界中へ復興と再生のメッセージを届けるというもの。全長30メートルを超えるとてつもない大きさのあすなろの生木を神戸のメリケンパークに植樹して、皆さんから寄せられるメッセージオーナメントで彩ります。

自然の木で作った大きなクリスマスツリーといえば、ニューヨークのロックフェラーセンターが有名で去年は23メートルだったそうですが、私たちのあすなろの木は全長でそれを7メートルも上回ります。文字通り世界一のクリスマスツリーですね。

——いつ頃からこの企画が立ち上がったのですか?

5年ほど前です。大好きな植物の力を借りて人の役に立ちたいと考え、世界一のクリスマスツリーを作ることを思いつきました。さっそく、日本国内で主役となる木を探しはじめたのですが、「これだ」というものになかなか出会えず、一年以上経っていました。

そんな時、魚のブリで有名な富山県の氷見市とご縁があり、現地を訪れてみると、大きくて立派な木がたくさん目に入って来たんです。もしかしたらここで出会えるかもしれないと、街の人たちと話したり、山へ探しに行くとイメージにあう木がみつかりました。

木が見つかったら、次はそれをどこへ立てるか。テーマパークや企業など数社に話をしてみたら、興味を示してくれましたが、せっかくの機会だから、公共の場でみんなに見てもらいたいと思ったんです。そこで、神戸市と連携することになりました。

実はね、今まで自分企画を立てて動いたことはないんです。これまでは年間2,000件ほどの卸案件をやっていましたし、この5年で300件ほどプロジェクトの依頼もありましたが、自分から企画を持ち込んだことはないし、自分で営業を一切せずに来た仕事の中から自分たちが出来る範囲でやるというスタンスでした。

——それではなぜ今回、ご自身から声をあげたのですか?

以前は、自分が生活するために働くという意識が強かったんですよ。飯を食べるために、植物を運ぶ。豆腐屋が豆腐を、車屋が車を売らないと食っていけないのと同じで、植物を売らないと生きていけないし、家族やスタッフだって養えません。

だけど、だんだん仕事が軌道に乗りはじめると人間、欲が出ちゃうんですよ。自分がやってる仕事で人の役に立ちたい。むしろ、世の中のために役立つことをすべきだという気持ちがどんどん芽生えてきたんです。こんなこと初めてですよ。

私がこのPROJECTでとくに気に入っているのが、ただ人の役に立つだけではなくて、みんなとの共同作業が含まれているところです。みんなと作って盛り上げていく世界一のクリスマスツリー。あすなろの木に飾るデコレーションは電飾ではなくて、反射材を用いたオーナメントなんですよ。

日本にかぎらず世界中で滑稽だなと思っていることがあります。クリスマスには、ツリーや街路樹に電飾を施すじゃないですか。夜はもちろん綺麗なんですけど、昼間は木に巻きつけた配線が丸見えで、植物本来の良さが失われてしまってます。みなさん、夜のために電飾をつけている。昼に見る配線は見ないことにしよう、これはこれで良しとしよう、と世界で共通して思われてるのがすごいおもしろいなと思っています。

僕は生きた植物を扱っていますから、職業柄あれを見るとなんだろうなぁと思ってしまうんです。あすなろの巨木はとても美しいものですから、できる限り昼間でも綺麗な飾りを施したかったんです。それに電飾をつけるにしても、大きいですからね。桁外れのお金がかかるんですよ。一度見積もりを出したらツリー全体にかかる電気は、期間中2億4,000万円。

世界一のツリーに対して中途半端なことをすればツリーに失礼なのは分かっていますが、復興と再生を願っているのに2億4,000万円という金額が動くのはどうかと思ったんです。そこで、自分なりに考えた答えが、反射材つきの丸い形をしたオーナメントでした。夜は光をあてるだけで輝きますし、昼も風に揺られて太陽の光が当たるのでキラキラと。ほとんど電力もいりません。木自体も、綺麗に保つことができます。

オーナメントはメッセージが書き込める仕様になっていて、神社でいう絵馬や七夕の短冊だと思っていただけると想像しやすいでしょうか。1枚500円(税込み)で販売して、そこに思い思いのメッセージを書き込んでいただき、ツリーに飾るんです。だからみなさんの声が集まれば集まるほど、ツリーの輝きが増していくんですよ。

5年越しの夢が叶う。大人を説得するのは思った以上に困難だった。

——長年、温めてきた構想がいよいよ現実のものとなり、清順さんの5年越しの夢が叶うことになりますが、いかがでしょうか。

すべてが大変でしたが、その中でも人に理解していただくことの難しさを痛感しました。例えば、1億3000万人の人たちを巻き込んで世界一のツリーを実現させたい。それはなぜなのか。22年前、阪神淡路大震災で神戸は想像を絶する被害を受けました。でも、今は完全に復活をしていて、神戸港は開港150周年を迎えることができました。このメッセージを世界中の人に再生の象徴として広げることができれば、とても説得力がありますよね。

しかし、ざっと見積もって3億、5億、場合によっては8億円くらい必要になる可能性もありました。どのような見せ方がいいのか、空間プロデュースも含めて、やれるところまでは自分で動いて、予算もギリギリまで抑える方法を考えれば、賛同してくれる人が現れると思いましたし、人に話せば、やったほうがいい!素晴らしいアイディアだと大人たちが背中を押してくれはするんです。

でも、その計画いいね!やったほうがいいよ、応援してあげるよって言ってくれる人のいいねっていうのは、「なったらいいね」っていう願望のようなニュアンスです。絶対にやるって言っているのになかなか伝わらないんです。なぜかといえば、あまりにも構想が大きすぎんです。

企画内容や意図は伝わるのに、実現するためのイメージをもつてもらえませんでした。見つけた木は富山県にありますが、それじゃその木をどうやって開催地へ輸送するのかという問題がまずひとつ。30メートルもある巨木ですから、陸地での移動はまずムリです。船で運ぶにしたって、陸から海、また陸へ上げて移動となると、かなりの労力と負担がのしかかってきます。

そこまでやるには、とてつもない行政機関や警察との協議、申請、お金の問題、警備、ありとあらゆる問題があるので、どうせできないだろうと半分ぐらいの大人は思っていました。でも、私は本気でそれらをクリアにして、やるつもりでいました。難しいけど、やれないことはない。そこを一人に、本気でやるんですよとわかってもらうまで、かなりの時間を要しましたね。

ただ、それは説得ではなくてね、ある種、大人たちをピーターパンに変えていってあげる作業なんです。ピーターパンは子どもの心をもっていて、夢のように物事が運んで最後は綺麗に終わればいいなと思っていて、諦めたり、駄目になるんじゃないかと心配する概念がないんです。大人は諦めることが通例化しているので、すぐムリだろうと考えてしまうんです。

だけど、冒険心というか子供心を少しでも覚えてる大人たちに、もう一回本気でやるってことはこういうことや!と目覚めさせる作業を、コツコツと地道に続けたんです。こうやって、木を見つけてから実現するまで4年かかりましたからね。

——人の心を奮い立たせるのも大変そうですが、実際の問題として木をどうやって富山県から神戸まで輸送するのかも、頭を悩ませたのではないですか?

これがもう、本当に大変です。のべ数十台というマシーンで土を掘り、手仕事で根を丁寧に掘り起こし、枝を絞るなどの地道な作業から始まり、クレーンで釣り上げてトラック車両に乗せる。あれだけ大きいので右に数センチずらす作業でも、大ごとです。

そして、北陸新幹線を輸送した全長25メートルの車両よりも大きなものを使って港へと移動。それを今度は巨大な船に移し替えて、日本海を突き進んでいきました。ゆっくり時間をかけて列島をぐるっと半周。神戸港に着いたのが、11月13日でした。

色々なことがありましたけど、今は幸せを噛み締めてますよ。最初は大きなクリスマスツリーを立てたいという僕の夢だったものが、いつしかみんなの夢となりました。5万枚のメッセージオーナメントが集まれば、ギネス記録になります。僕は本気で、絶対に実現できると思ってますからね。

>>Vol.2では西畠さんのこれまでのチャレンジについて迫ります。西畠さんがここまで人を圧倒させるような考えをお持ちになった原点はどのようなことなのでしょうか。

 

西畠 清順
1980年10月29日生まれ。36歳。兵庫県出身。 そら植物園株式会社 代表取締役 プラントハンター。
幕末より150年続く花と植木の卸問屋の五代目として兵庫県で生まれ、中学生の時、阪神・淡路大震災を経験し、高校3年間は、学校の前に仮設住宅がある風景を見ながら過ごす。21歳より日本各地・世界各国を旅し てさまざまな植物を収集するプラントハンターとしてキャリアをスタートさせ、今では年間250トンもの植物 を輸出入し、日本はもとより海外の貴族や王族、植物園、政府機関、企業などに届けている。2012年、ひとのこころに植物を植える活動・そら植物園を設立し、名前を公表して活動を開始。初プロジェクトとなる「共存」をテーマに手掛けた、世界各国の植物が森を形成している代々木ヴィレッジの庭を手掛け、その後の都会 の緑化事業に大きな影響を与えた。また東日本大震災復興祈願イベントとして、日本全国47都道府県から集め た巨大な桜を同時に都内でいち早く咲かせることに成功した「桜を見上げよう。sakura project」は、全国的なニュースとなり、その後、植物に関するさまざまなプロジェクトを各地で展開、日本の植物界の革命児として反響を呼んでいる。

(聞き手 永森 由香子、撮影 髙橋 明宏)

Popular 
人気記事