けん玉パフォーマーへの転機はリーマンショック!児玉健さんの「ターニングポイント」Vol.2


技を決めても、お客さんがつまらないと思えば意味はない。笑ってもらえたら、勝ち。

――こんな風にオリジナルブランドまで作られたのですから、昔からけん玉をされていたんでしょうか。けん玉はいつから始められたのですか?

僕は遅いですよ、勤めていた会社を辞めてからなので今年で7年目、30歳から始めました。子どものころは何度かけん玉で遊んだ記憶はあるんですけど、ほとんどみなさんと同じでやり方がよくわからなかったので、面白さに気づく前にやめてしまいました。

大人になってやり始めたきっかけは、29歳のときに勤めていた会社を辞めて1年ぐらいフリーだった時期があるんです。当時、僕は東京の四谷にあるおもちゃ美術館で、おもちゃのコンサルタントという資格を取るために受講していました。そのクラスで同期だった10歳年下大学生のイージーが、けん玉の達人だったのです。

毎週、授業で会うたびにコツや技を少しずつ教えてもらっていたら、だんだん面白くなってきて気づいたときには完全にハマっていました。無心になってずっとやり続けて、朝になっていたこともありましたね。その、僕にけん玉の奥深さや面白みを教えてくれた達人こそが、現在の相方イージーです。歳は離れてましたけど、話もぴったり合いましたし一緒にいて気が楽な人でした。なにより、僕は彼に尊敬の念を抱いていたので、「10歳? そんな年下とコンビを組んで抵抗なかった?」と周りから驚かれても、いまいちピンと来ず。というか、今どき10個下と仕事できないなら、生きていけないですからね。

――飯島さんと出会ってからコンビを組むまでは、あっという間だったんですね。

そうですね、3〜4カ月ぐらいですかね。けん玉の楽しさに気づいてすぐ、これはパフォーマンスとしてやっていけるのではないかと思いまして、基本的な順序や難易度の高い技を覚えるよりまず先に、人前で披露できるものだけを選んで練習しました。初めてのお披露目はコンビ結成2週間後。知り合いの児童館で、リアクションが見えやすい子どもたちの前でやらせてもらいました。けん玉歴は3カ月程度だったので、かっこいい技はなにもできませんでしたけど、子どもたちがどう楽しんでくれるか、技を失敗したときにどんな顔をするのか、そういった見せ方と見る側のリアクションの原点みたいなものは学ぶことができました。初舞台は半分コント、半分ヒゲダンスのようなノリでしたけど、パフォーマーというのは技がきっちり決まるだけでは成立しないということだけはわかりました。

30歳になって本格的にけん玉を始めたので、普通にやってもしょうがないと思ったんです。本気でやるからには世の中にないものを作らないと、と思ってかっこよくて面白いことをやるのが目標でした。けん玉パフォーマンスというのは10回中10回決めたら勝ちという世界ではないし、技を決めたとしてもお客さんがつまらないと思えば意味はないんですよね。お客さんが僕らを見て笑ってくれたら、勝ち。そこは今でも一番意識してやっていることです。

29歳 リーマンショックの余波で退職を決断

――けん玉パフォーマーとしての道に進む前には大阪大学経済学部を卒業して、大手不動産会社へと就職。しかし、その7年後の29歳で会社を辞められたそうですね。どんな理由があったのですか?

ずばり、リーマンショックです。あれがなければ今の僕はいないでしょうし、まだ不動産業を続けていたと思います。なにより、仕事は充実していましたし、会社の仲間も環境もすべてが良好だったんですから。

リクルート系の会社で社員は800人ほどいました。そのうち半分の400人が人員削減の対象となり、全社員がほぼ毎日、上司と面談をして今後の身の振り方を話し合いました。社員の多くは独立志向が強かったので、早々に退職を申し出る者も少なくはなかったです。僕は入社して6年経っていましたが、1カ月ほど考える時間を与えてもらえたので、大人になって初めて真剣に自分と向き合いました。辞める道を選んだとしても、その先は全くのノープラン。でも、心の中でこれだけは決めていました。再出発するならば、不動産屋以外の仕事に就くということ。

周りは半分、辞めていくわけじゃないですか。それでそのほとんどが不動産屋に再就職したんです。リクルート系の大手でしたから、他からのヘッドハンティングが当たり前にすごかったんです。宅建を持っていますし、新卒より100倍使える人材ですから大手が本気で取りにきます。自分にも声はかかりました、うちへ来ないかと。好条件でしたし本当にありがたい話ではありましたが、不動産屋に再就職するくらいならうちの会社に留まるほうが賢明じゃん?わざわざ辞めてまでよそへ行くのはもったいないと思ったんです。だから、誘っていただいたのですが、お断りさせていただきました。

――当時はもうご結婚されていたそうですね。だとするとなおさら、難しい決断だったのではありませんか?

言うほど深刻ではありませんでしたよ。逆にいうと、結婚していたから辞めたというのはあります。妻は同じ会社で働いていましたし、同じ条件でリーマンショックを味わいました。それで家に帰ると「お前、どうするの?」「私は辞めるよ」「そうか」って、意外にもあっさりしたやりとりをしたりして。なんだろうな、2人だと旦那は働かなきゃいけないというのが一般常識としてあるのかもしれないけれど、うちの場合は2人いればなんとかなる、バリバリ働ける年齢だし飢え死にすることはない、という前向きな捉え方でしたね。

もちろん、簡単な決断とはいきませんでしたが、29歳ということを踏まえていろいろと考えた結果、今が人生の一区切りなのかな、ここで辞めなかったら新しいスタートを切るチャンスはもう恵まれないだろうなと。後悔はしていませんし、現在の自分にも満足しているので当時の選択は間違っていなかったんだと確信してます。むしろ、第2の人生を与えてくれたリーマンショックよ、ありがとうと言う気持ちですね。

>>Vol.3では児玉さんの二つ目の顔について迫ります。けん玉パフォーマーともう1つの顔である人狼ルームの主宰について迫ります。児玉さんは2つの顔をどのように考えているのでしょうか。

(聞き手:永原 由香子 撮影:髙橋 明宏)

児玉 健
プロけん玉パフォーマー、人狼ゲームマスター
1980年、大阪府生まれ。リクルート系不動産会社を退社後、仕事を遊びに、遊びを仕事にするべく活動開始。
大人がリアルに遊べるゲームスペース「ドイツゲームスペース@Shibuya」「人狼ルーム@Shibuya」を経営。
また、舞台「人狼ザ・ライブプレイングシアター」のゲームアドバイザー、TBSテレビ番組「ジンロリアン~人狼~」や
カードゲーム「はじめての人狼」の監修、リアルイベント「アルティメット人狼」「大人狼村」などを主催。
また、けん玉パフォーマンスコンビZOOMADANKEとして、年間100ステージを超えるパフォーマンスを行う。
ハワイ、ブラジル、ミラノ、台湾、マレーシアなどでパフォーマンスを行い、
日本だけでなく世界からも高く評価され、活動のフィールドを拡大中。
NHK、Eテレ「ニャンちゅうワールド放送局」でけん玉侍としても出演中。
2016年NHK「第67回NHK紅白歌合戦」、2017年NHK「第68回NHK紅白歌合戦」出演。
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https://www.youtube.com/user/zoomadanke