あふれるアイディアをカタチにするメダリスト!上原大祐さんのターニングポイントvol.2


大人の「できない」は子どもの可能性を奪う

──現在、上原さんはパラアイスホッケーの日本代表選手でありながら、同時に様々な活動や取り組みに挑戦され、それらがTVをはじめとした各種メディアで報じられて注目を浴びていますよね。これまで、どのような活動を行ってきたのでしょうか?

たくさんあるのですが、代表的なものをあげますと、2014年に立ち上げたNPO法人「D-SHiPS32」ですね。これは、障がいを持って生まれてきた子どもたちと、その親御さんをサポートするための団体です。私の原点は母にあるという話をしましたが、残念なことに今の日本では、障がいを持った子どもの一番の差別者って親御さんなんです。

たとえば、私が「みんなでこのスポーツをやりましょう」と提案をすると、お母様が真っ先に「うちの子は、それはできないんです」と、言うんですよ。「できない理由は何ですか?」「以前、やられたことがあるんですか?」と聞いてみると、「やったことはないんですけど、できないんです」と。

これは、親御さんに限らず、医療関係者、福祉関係者も同じことを言います。でも、こうして大人たちが「できない」と言うことで子ども達の可能性を奪っているんです。日本でパラスポーツが普及していない背景は、ここにあるんです。

障がいを持つ子どもたちのために、無理を無限大のアイディアの宝庫にしたい

──障がいを持った子どもたちのためのNPO法人をたちあげるに至ったきっかけがあるのでしょうか?

はい。私には、ホッケーを始めて以降、ターニングポイントと呼べる出来事がいくつもあるんです。2004年に、カナダにホッケーの試合をしに行ったときに、リンクの端で障がいを持った小さい子どもたちが、和気あいあいとホッケーを楽しんでいる姿が目に飛び込んできたんです。その楽しそうな様子にとても驚かされたんですよ。バリアフリー対策が行われていない日本にはありえない光景でしたから。

そして、ぜひ、こういう風景を日本にも作りたいって思ったのが、人生2度目のターニングポイントでした。そして、帰国後に子どもたちにスポーツ指導をするようになったのですが、それをNPOにまで発展させるきっかけとなったのはまた別の出来事なんです。2012年にアメリカにホッケー留学に行ったのですが、せっかく行くのだからホームステイをして長期滞在をしたいと思いまして、それまで働いていた会社を辞めて渡米したんです。

ところが、いざホームステイ先を探してみると、車いすでも可能な受け入れ先が見つからず、ホテルで暮らしながらホームステイ先を見つけたんです。でも、喜んだのもつかの間。最寄り駅が『バリアフル』だったために結局は断念しまして、諦めて一人暮らしをはじめたんです。これが第3のターニングポイントになったんです。

──その経験が役になったのでしょうか?

いえいえ、その逆。一人暮らしを始めたらいろんな人が呼べるようになったんですよ。日本からの留学生、アメリカ人、イタリア人、ブラジル人など、世界各国の友達が出来たんです。その中に、日本から来ている小児外科のドクターがいたのですが、ドクターの話をきいて、医療現場でも障がいを持ったお子さんと親御さんのケアは難しいのだと知りました。その時です。本格的に、障がいを持った子どもたちや親御さんにサポートしたいと思ったんです。

さらに、ドクターから「私が帰るまでに、大祐はそういうコミュニティーを作っておいてね」と宿題をいただきまして、そしてNPO法人をたちあげたんです。そして、いざ、障がい者という観点で活動を始めてみると、本当にいろんな人との出逢いがあって、それがどんどん膨らんでいって現在にいたるんです。

──素晴らしいですね。しかし、これが人生のターニングポイントかもしれないという感動的な出来事に遭遇しても、なかなか今ある生活を手放すのは難しいですよね?どのように決断されたのですか?

楽しそうだと思ったことをするだけです。たしかに、考え方次第では会社を辞めて、NPOを立ち上げて、なおかつ会社まで始めるというは大変だと言えるかもしれませんけど、それを乗り越えられたのは、人とのつながりなんですよね。新しい何かが始まるターニングポイントには、必ず人が絡んでくるんです。

今回、一度、ホッケーを引退したが再び現役に復活した理由も、いろんな人との出会いがあったお陰。子ども達のとの出会いもたくさんあって、「氷の上の上原さんの姿を見たい!」というご要望にお応えしようという気持ちが、復帰の決め手になりました。これまでは、自分の首にメダルを下げることが目的でしたが、今回は未来のパラスポーツのために何かしたいという気持ちが強かったんです。

──そこには、社会貢献をしたいという使命感もあったのでしょうか?

社会貢献というより、もっと楽しくポップに世の中を変えてやろうという気持ちですね。何事もやってみないと結果は分からないんです。だから、これはNPOの活動でもよく言っているのですが、障がいを持つ子ども達には「できない」と言われていることも、無理×アイディア=可能にできるんです。そのアイディアの部分を専門家や、経験豊かな大人がだしてあげれば、無理なことも可能にすることなんていくらでもできるんです。

自分に課せられたノルマは『壁』。社会的な問題や影響から生まれるテーマは『課題』

上原さんは続けます。

例えば、私は今、車いすでダブルダッチをやっているのですが、車いすで縄跳びを飛ぶなんてできないという思い込みで、誰もやらないんですよね。ですが、私は自分でやりたいなと思った時に仲間を集めて、やってみるんです。するとできるんですよ。そういうふうに課題を1つ1つクリアしていくのが私の趣味でございまして。課題といっても、宿題の方の課題は苦手ですよ。私は解決していく方の課題が大好きなんです。

──近年ビジネスシーンで使われる「課題」は、問題点という意味合いではなく、目標を達成していく上で必要な要素としてポジティブに捉えられていますよね

そうなんです。課題ってひとりひとり、見つけるタイミングも違いますし、思う範囲も内容も違いますよね。でも、共通して言えるのは、課題を見つける時というのは、何かが変われるチャンスを見つけた時なんだということ。世の中を変えるチャンスを貰ったということなんですよ。

──その捉え方が、自分の限界を超えられる人、超えられない人の違いでもあるのでしょうか?

そうだと思います。自分に課せられたノルマをこなせないのが『壁』であり、社会的な問題や影響から生まれるテーマが『課題』。だから、課題を解決していくことで、社会を変えていくことができ、その楽しさが私の原動力でもあります。これは自分でも不思議に思っているのですが、そろそろ何かを変えたいと思いたち、次の課題を見つけて、「今度はこんな人に逢えたらいいのにな~」と思っていると、必ずそういう出会いがあるんです。

──それこそ上原さんが常にアンテナを張っている証拠かもしれませんね。でも、せっかくのいい出会いも最初の一歩が踏みだせずに、ふいにしてしまう方も多いと思います。上原さんには秘策があるのでしょうか?

答えはシンプルです。良い出会いがあったら、自分からガンガンいっちゃうんですよ。たとえば、新聞を見てこの人に会いたいな~って思ったら、新聞社に問い合わせてメッセージを託すんです。まず自分のことを話して「興味を持ったらここに連絡くださいと伝えてください」って。実際に、それで出逢ったのが、ハンドスタンプアートプロジェクトを主宰している方たちなんです。

知らない人と仲良くなるのは簡単ですよ。たとえばAさんのこれが面白いなと思ったら、「僕はこんな考えを持っています。コラボしたら面白いと思うのですがいかがですか?」と、積極的に提案をするんです。そこで「面白いからやろう~」ってなれば、新たなプロジェクトに発展していくんです。

>>Vol.3では好奇心旺盛な上原さんのアイディアから生まれた、誰もがワクワクする現在進行形のプロジェクトの数々をご紹介していただきます。アスリートにとどまらず多岐に渡るご活躍をされる上原さんはどのようなことを考え、行動されているのでしょうか。

(聞き手:浅水 美保 撮影:髙橋 明宏)

上原 大祐
1981年、長野県生まれ。生まれながらに二分脊椎という障害を持つ。19歳からパラアイスホッケーに本格的に取り組み、トリノ2006冬季パラリンピックで日本代表に選出される。バンクーバー2010冬季パラリンピックの銀メダリスト。
2017年に現役復帰し、日本代表選手として、平昌2018冬季パラリンピック出場を果たす。

 

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