僕にできることを一生懸命やる 岩野響さんのターニングポイント Vol.2


岩野響さんは群馬県桐生市で焙煎士として活躍されている10代の若き男性です。周囲が高校に進学する中、岩野さんは高校に行かず、珈琲と向き合う選択をしました。なぜ岩野さんは高校に行かないという選択肢を選んだのでしょうか。そして、珈琲と出会うきっかけはどのようなものだったのでしょうか。岩野さんのこれまでの生き方とターニングポイントについてお話をお聞きしました。

>>「珈琲焙煎士」岩野響さん Vol.1 10代の若き焙煎士の一途なこだわり

僕に出来ることは何?学校に行かずにさまざまなことに取り組んだ中学生時代

–お店を立ち上げてから1年が経ちましたね。高校へ進学せずに15歳で起業、さらに珈琲焙煎士という肩書きを持つのは、世界的に見ても珍しいことではないかと思います。これまでの岩野さんのターニングポイントのお話をお聞かせいただけますか。

はい。ただ、まず僕自身のことを少しお話したいと思います。僕は小学校3年生の時に、アスペルガー症候群という診断を受けました。子どもの頃は「ちょっと変わった子」だと周りに思われることもありました。ただ、成長するにつれ少しずつ、学校生活を送る上で居心地の悪さを感じるようになりました。本が大好きでこれまでたくさんの本を読んできましたし、調べ物をするのも好き、勉強や研究も大好きなんです。学ぶのは大好きなのに、僕は学校で必要なものを前もって準備することや、宿題をして提出するということができなかったんです。「どうして僕だけできないんだろう」と、何度も自分に聞いて、正しい答えを出そうとしたのですが、自分でもどうしてできないのかわからない。だからずっと苦しかったんです。ただ、小学生の時は学校に通えていたのですが、中学1年生の時、学校に通えなくなりました。

両親は戸惑っていたと思いますが、僕を一切責めませんでした。それどころか、「人と交流できる何かができるといいよね」とか「響くんがやりたいことをしてみればいいんじゃないかな」と、励ましてくれたんです。

–実際にどのようなことに取り組まれましたか。

両親が洋品店をしているので、洋品店の手伝いをしました。父の手伝いや母の手伝い、そして家事の手伝いもしました。また、親類の手伝いもしました。当時の僕は、「僕にできることはなんだろう」とずっとずっと考えていましたから、出来ること探しをしていたんです。失敗の連続でしたし、ここまでやってみようと言われていたのに、そこまでできなかったなぁと思うこともしばしばありました。でも、中学2年生になる頃に漠然と「何かしらのお店を持てたらいいな」とも考えるようになりました。

一方で、僕は高校へ進学することも考えました。やっぱり、同い年の友達は高校に進学しますから、僕もそうするのがいいんじゃないかと思ったこともあります。ただ、高校に行ったとしても……と思ったので、高校にいかなくても僕が世間ともっとつながりを持っていくためにはどのようなことができるのかをずっと考えていたんです。

珈琲を通じて世の中とつながりを持とう!ラボの立ち上げを決めた中学3年生

–そこで思いついたのが、珈琲焙煎士の仕事だったのですね。

そうなんです。あまり大きな声では言えませんが、小学校3年生の時に初めて珈琲を口にしました。独特な苦味と酸味、それから口の中や鼻腔に広がる風味がとても心地よくて、なんて不思議な飲み物なんだろうと感動したことを覚えています。親には「そんなに飲んだら夜に眠れなくなるよ」とか「トイレが近くなるよ」と注意されましたけど、隠れてこっそり飲んだこともあります。

そして、珈琲好きと知った両親の知り合いから一台の焙煎機をもらいました。これは小学校6年生の時の話です。手動タイプの小さな焙煎機でしたが、すごく嬉しくて、すぐに両親に頼んで生豆を取り寄せてもらいました。自己流で焙煎した豆を挽いて、ハンドドリップして飲んでみました。それが焙煎への興味につながりました。

–現在の珈琲豆に生かされている絶妙な味加減や整え方は、小さい頃からコツコツ進めていた実験や研究が、功を奏しているのかもしれませんね。

そうかもしれません。もともと僕はカレースパイスに興味があったんです。カレーはスパイスやハーブが何層にも重なって、色々な味になりますよね。隠し味ひとつでこんなに変わるんだ!面白いって思っていたんです。だから、もしもカレーの隠し味として珈琲を入れてみたらどんな味わいになるんだろうと気になって、最初は入れてみたんですが、次第に加える量やタイミングを変えたらどんなことになるんだろうと実験を繰り返しました。

それが、焙煎機で焙煎ができるようになってからは興味が徐々に珈琲に。もちろん最初からうまくいくわけはなく、珈琲好きの両親からは「なにこれ!おいしくないよ」って言われたこともありました。

ただ、焙煎作業は奥深くて、まるで研究のように毎日没頭。どうすればもっとコクが出るのか、香りが増していくのかを考えて、試して失敗したり、成功したりしながら学んでいったんです。そのうち、「この豆の産地はどこかな?」「喫茶店の珈琲は、店によって味が違うのかな?」と知りたいと思う幅が広がって、喫茶店に通っていたんですよ。コーヒー専門店ではマスターが慎重に豆を挽いて、ゆっくりお湯を注ぐんです。僕はその一瞬を見逃すまいと、いつもじっとながめていました。

両親から「珈琲を淹れてほしいなぁ」と頼まれると、コーヒー専門店で自分が目で見て学んだものを自己流で実践していました。そうやって、淹れる楽しみを覚えていきました。

–それがいつの日にか、自分のお店で珈琲を提供したいという気持ちに変わっていったのですね。

そうです!僕が得意なこと、好きなこと、できることを、大好きな珈琲を通してやってみたいと思うようになりました。世間とはつながっていたいと思っていたそのパイプが珈琲だと思ったんです。珈琲を通して、多くの人と交流できればいいなという気持ちが日に日に増していったんです。両親にそう話をしたら、「だったら、ちょうど洋品店の隣に使っていない茶室があるから、そこで始めてみたらどう?」と。

その一言がきっかけで、僕の新しい人生がスタートしました。両親はもしかしたら高校に行ってほしかったという気持ちもあるのかもしれませんが、そばでやってみたらどう?と応援してくれました。

出来ることをコツコツと

–そして、このお店がスタートするのですね。開業にあたり、どのようなことを考えましたか。

オープンする前に両親と決めていたことがあるんです。それは、背伸びをせず、無理は絶対にしないこと。最初からお金をかけるのではなくて、まずは出来る範囲でやってみることから始めようと。

そのため、珈琲にとって大事な焙煎機も最初は自分のお小遣いをコツコツと貯めて買った5万円の小型の手動タイプのものでした。500グラムしか焙煎できませんでしたが、それでも僕は満足でした。今でもそばに置いている大事な初号機。

それに、このラボはもともと畳が敷かれた茶室でした。「自分の出来る範囲でやる」ため、LABOは父親と2人で作りました。畳をすべて剥がし、掛け軸が掛けられる床の間と押入れを取り払い、白いペンキを塗ってイメージを変える。小物をどうしようかなど、色々と父親と相談しながら進めました。手作りですから、人件費も材料費もほとんどかかっていません。

–起業して1年、ご自身の変化はいかがでしょうか。

今は僕ができることに真剣に取り組むのが大きな課題です。毎日模索しているものの、自分が成長したなと実感することも多々あります。中学生ではおそらく交流するのが難しい大人と話すこともできますから、素晴らしい体験をしているのだと思います。以前の僕は暗い性格で、下を向いてばかりいました。学校へ通えなくなって自分の居場所がなくなっていました。その中で大好きな珈琲に熱中したい、珈琲は自分に向いているということに気づけたことが、何よりの収穫です。

>>10代天才焙煎士が起業を通じて得たこととは? 岩野響さん Vol.3

岩野響(いわのひびき)
2002年、群馬県生まれ。小学3年生の時にアスペルガー症候群と診断。中学時代は学校生活への適応が難しいと悩んでいた時に、手回し焙煎器をもらったことがきっかけで、珈琲焙煎に熱を上げるようになる。その後、家事や両親が営む染物洋品店の手伝いをしつつ、2017年春に15歳という若さで「HORIZON LABO」を開業。日々焙煎の研究を重ね、気持ちを込めた珈琲を提供。青山の「大坊珈琲店」の店主・大坊勝次氏らとも交流がある。

 

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