老舗にこそ、イノベーションのヒントが隠されているのかもしれない


ここ10年ほどで、アメリカでは企業が相次いで倒産しています。

アメリカ版のTSUTAYAとして知られるブロックバスターや、大手書店チェーンのボーダーズ、そして、サンフランシスコ最大のタクシー会社、イエローキャブなど、名の通った企業が次々と姿を消しているのです。

それだけ社会の変化の速度が早まっており、かつては50年と言われていたアメリカ企業の寿命は、今では12年ほどまで縮んでいるのだと言います。

また、企業の寿命が短くなっているだけではなく、プロダクトの寿命も短くなりました。

例えば、ブラウン管の時代は100年続きましたが、液晶テレビは10年で有機ELに代わり、スマートフォンに関しては1、2年の期間で新しいモデルが世に登場しています。

そうした時代においては変化に対応する時間も少なく、新しいプロダクトやサービスにより、あっという間に市場を奪われてしまうことも少なくないようです。

10年間で1/10にまで市場が縮小した写真フィルム市場


写真フィルムメーカーとして、世界最大の企業だったコダックは、市場の変化に対応できなかった企業の例の一つです。

写真フィルムの売り上げがピークだったのは2000年。しかし、当時よりデジタル化が徐々に進んでおり、10年後には、写真フィルムの市場は10分の1にまで一気に縮小してしまいます。

もちろんコダックも、デジタル化が進むことは理解していました。それでも、短期的に利益を確保しやすい写真事業の研究開発に囚われた結果、2012年に倒産することとなってしまったのです。

ただ、デジタル化によりフィルム業界が全滅したかと言われればそんなことはありませんでした。

競合であった富士フイルムは、コダックと対照的に、2007年に過去最高の収益を挙げているのです。

そんな富士フイルムとコダックを分けた理由は、どのようなものだったのでしょうか。

写真の技術で化粧品を生み出した富士フイルム


それは、写真フィルムの売り上げにこだわったコダックとは反対に、富士フイルムが、新規事業である医療品分野に足を踏み入れた点にあります。

スタートアップの75パーセントが失敗すると言われるほど、新しいアイデアが実を結ぶのは難しい時代です。

そうした状況でも、富士フイルムが医療品分野へと上手く進出することができたのは、全く関係のない業種だったからではなく、それまで蓄積してきた専門知識やノウハウを応用できる業種であったことが関係しています。

写真メーカーと医療品と聞くと、一見、全く異なる分野と思われるかもしれません。しかし、実は共通点も多いです。

例えば、写真フィルムの主な原料はゼラチン、つまりコラーゲンであるわけですが、人の皮膚も70パーセントはコラーゲンで構成されています。特にコラーゲンは、肌のはり・つやなどと関わりのある成分で、化粧品などに用いられることも多かったのです。

富士フイルムは写真フィルムの技術開発を通じて、このコラーゲンを80年近くも研究してきた実績がありました。そして、培ってきた知識を生かすことによって、化粧品などの医療品分野へと上手く事業転換することができたのです。

どう「成長」するかよりも、どう「変化」するかを考える


培ってきたノウハウを、異業種に活かして新規事業を開拓するという取り組みは、実は、100年以上続く日本の老舗企業でも行われています。その一例として挙げられるのが、船橋屋です。

船橋屋は、東京で200年以上に渡って「くず餅」などの和菓子を作り続けてきた老舗和菓子屋で、かつては、芥川龍之介や西郷隆盛も好んで通っていたことで知られています。

それでも近年、人口減少による市場の縮小などから事業を転換していく必要性があり、組織改革や新商品の開発などが着々と進められていました。

そうした取り組みの中で、くず餅の原料に13種類の乳酸菌が含まれていることが明らかになり、その乳酸菌を利用したサプリメントや化粧品などの開発が現在進められているのです。

すでに2019年3月には、ホテルニューオータニとコラボした乳酸菌入りのスイーツやベーカリーが続々と完成。また、表参道には、「Good Aging」をテーマにした新店舗のオープンを予定し、健康志向の高い店舗づくりを検討しているのだと言います。

船橋屋はこの10年間で売り上げを6倍にまで伸ばしました。さらに、今後の経営目標として「健康提案企業」を掲げており、和菓子を売る会社から、健康というライフスタイルを提案する会社へと生まれ変わろうとしているのです。

現代は、もう勝つか負けるかではなく、生きるか死ぬかの戦い


一般的に老舗といえば、新しいことに対しては消極的という保守的なイメージを持っている人もいるかもしれません。

しかし、船橋屋の他にも、花札の製造業者からゲームを作る会社へと変わった任天堂や、馬具の製造業者から一流ブランドへ変わったエルメスなど、老舗の中には大きな変化を遂げている企業も少なくないです。

日本一の利益を上げる企業として知られる、トヨタもその一つの例に挙げられるでしょう。

もともとトヨタは、繊維会社である豊田自動織機製作所がもとになって生まれた企業だと知られています。

1933年、豊田自動織機製作所は、織機で培った技術を活かすために社内に自動車部を作りました。そして実際に、織機製作によって培った機械加工技術などを活かした車が次々と製造され、1937年に独立して独自に事業を発展させていくこととなったのです。

そして、現在ではシェアリングや自動運転が台頭する中で、豊田章男社長は「もう、勝つか負けるかではなく、生きるか死ぬかの戦いだ」と危機感をあらわにし、「自動車をつくる会社」から移動に関わるあらゆるサービスを提供する「モビリティ・カンパニー」に変わることを名言しています。

イノベーションを起こすためには、既存のものを別の視点でみることが大切だと言われるように、まさに老舗は、それまで培ってきた技術やノウハウを異なる分野で再定義することで、新しい価値を生み出し続けてきているのです。

老舗企業の数が世界一の日本は、実は変化に対する意識が強い


こうして考えると、高い専門性や技術力、そしてノウハウなどの、イノベーションの材料となる素材を多く持ち合わせている老舗は、変化に対応することが得意な体質を持っていると言うことができるのかもしれません。

事実、『老舗企業の研究』にまとめられている、老舗企業を対象としたアンケートでは、8割以上の老舗が、事業内容や、商品・サービス内容、販売方法などをこれまでに変化させたと回答しているのだそうです。

そもそも、環境に対応して変化することが大切だったのは今も昔も変わらず、昭和恐慌や第二次世界大戦などの深刻な不況要因があった時代でも、老舗はバトンを受け継いできました。

その意味においても、100年以上続いている老舗が10万社以上あると言われる日本は、今後の時代を生き抜いていくためのヒントが多く秘められた国であるのは間違いないのかもしれません。

 

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