多大な影響力を持つ美業界の革命児!「ヘアアーティスト木村直人さんのターニングポイント」Vol.1


木村 直人
岡山県出身。air執行役員ディレクター
常に日本の最先端を走るトップクリエイターの一人。カット、カラーリングなど、斬新かつ洗練された上品なトレンドを発信し続けているオールラウンドプレイヤー。WebメディアやSNSでの情報発信力、主宰するオンラインサロン「マルチバース」での活動を始め、活動の枠は美容師にとどまらず幅広く活躍している。
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お客様に認められてこそ正解!ヘアアーティストの枠にとらわれないカリスマ

独自の美容理論で、時代と個性に沿ったヘアスタイルを次々に提唱する気鋭のヘアアーティスト、木村直人さん。タレントやモデルから絶大な信頼を得る一方で、Webメディアやオンラインサロン、コンサルタント業など幅広く活躍されています。2017年12月には二人目のお子様が誕生しています。

――木村さんといえば、IT系美容師の草分け的存在ですね。美容師としてサロンワークをする傍らで、ブログやTwitterなどのソーシャルメディアを巧みに使いこなし、ユーザーに有益な情報を発信する役割を担ってますね。

はい。僕がairに入社したのは今から12年前ですが、現在は銀座と青山の2店舗を行き来しながらサロンワークを行っています。今年4月からは執行役員という立場にもなり、組織全体を俯瞰で見ながら統括し、考えるというポジションにもついています。

美容師業界というのは、デジタルやインターネットの時代の流れについていけない人が圧倒的に多い世界で、古風な考え方に凝り固まっている傾向があります。たとえば、髪の専門家たるやカットやカラーリングの技術さえあればそれでいいという風潮があるんです。

僕はかつて2軒の老舗サロンを経験しましたが、そのサロンは時代の変化に対応できず、倒産してしまいました。当然のことながら「美容師=綺麗に髪を切る」ということになりますが、そこにお客様の評価がついてこないことにはなにも始まりません。ですから、美容師同士で「あいつは凄い」と評価し合ったり自己満足に浸るのは、ほとんど意味はないし、無駄なことだと思っているんです。

これは「世間やお客様から評価されてこそ、正解」ということが僕の中で根付いたものです。ですから、待つだけではなくてこちらが発信して、率先して交流していくことの大切さを日々提案しています。

――現在は従来のヘアアーティストの枠を飛び越えた活動をされていますね、いわば美容業界の革命児だという印象があります。木村さんがこの業界のスタートラインに立ったのはいつ頃なのでしょうか?

高校を卒業した18歳の時に岡山県から上京して、東京の美容専門学校に通いました。両親が美容師だったので、子どもの頃からに美容業界は身近なところにありましたね。

本当は医者や弁護士、警察官などもう少し硬い職業に就きたかったって言うのは漠然とあったんですけどね。1998年頃ですかね、やれることがなかったので、上京して美容の専門学校に入ったんですよ。1年間。

――美容師になろうと腹を括ったのはいつ頃なのでしょうか。

美容学校に通っていた頃ですね。東京に出てから一人前になるまでは辞めないと心に決めていました。

実は、高校時代は学校に行ってなかったんですよ。ずっと地元の駅でたむろして遊んでいるのが楽しかったので、学校に行くふりをして行っていなかったんです。でも、自分の好きな授業には出ていたんですよ。家が美容室なのでカラーリング剤があるんですよ。ヤンキーではないんですが、それで自己流で赤や金に髪を染めてましたね。

それが、上京してからはなんなんでしょうね。自分でもよくわからないんだけど、社会人になったっていう感覚や自覚が芽生えたんだと思います。僕が通っていた専門学校は朝何時までに学校に登校しないといけないという厳しい学校だったんですけど、皆勤だったんですよ。学校に行っていなかった高校時代とは全然違いますよね。美容学校への進学は親からお金を出して貰いましたし、親には恩返ししたいと思ったので、ひたすら真面目に美容に向き合っていました。

突然のクビ宣告!ある日突然上司から言われ……

木村さんは続けます。

専門学校卒業後は原宿のサロンに入りました。当時って今と制度が違うんですよ。学校に一年間行って、インターン期間を経て免許を取得します。ちなみに、今の子たちは2年間の学校生活の中で免許が取れる仕組みに変わっていますね。

――現在に至るまで、2軒の老舗サロンに在籍されていたそうですね。

そうなんです。当時、1997年はカリスマブームの絶頂期で、美容師を目指している若者がたくさんいました。僕が1軒目に在籍したサロンは特に有名なところでした。1,000人もの希望者が殺到して、採用されたのはたったの24人です。僕は幸運にもその中に選ばれ、まさに人生のターニングポイントを味わうことになったんです。

しかし、実際にサロンで働き出すと業界が抱える闇のようなものを目にすることとなり、難しい世界だということを痛感しました。というのも、僕を含めた24名は1年で半分に減り、2年でさらに半分、最終的に残ったのはたったの5人です。美容師業界は入れ替わりの激しい業界です。それは、過去も今も変わらず激しいのですが、上の立場からすると、人をどう回していくか、長く現場にとどまり就業員が一丸となって職場を盛り上げていくにはどうすればいいのかということが最大のポイントで、難しいことなんです。

在籍中はまだまだ若造でしたけれど、そういったフェードアウトしていく仲間たちや現場の雰囲気を冷静に観察することできたので、あの頃に得た学びは確実に今の自分の教訓となってますね。

いろんな経験をした1軒目のサロンは、結局5年目で退職することになりました。与えられた仕事はしっかりと確実にこなしていたのですが、休みの日の過ごし方を問題視されてしまったんです。

「お前は下に悪影響を及ぼすから今日で辞めろ」と。

ある日突然、まさかのクビ宣告を受けたんです。突然のことでしたし少しパニックになってしまって、半日ほど大泣きしましたよ。本当につらかったんです。だけど、僕には落ち込んでる暇は僕にはなくて、これからどうする?このままではダメだと奮起して、その日の夜に先輩の勤めるサロンに電話して面接を希望したんです。

学んだことは、「長く続けることの難しさ」

――なんの前触れもなくいきなりクビ宣告というのは、今のこのご時世では信じられない出来事ですね。その日のうちに面接を願い出たという行動力にも、驚きましたが……。

僕の性格なんでしょうかね。つらかったけれど、次の一歩を踏み出さなきゃという気持ちの方が勝っていました。そして、気づいた時には電話を握っていました。今になって考えると、あそこでクビになっていなかったら次のステージには間違いなく上がれていなかったと思います。あの経験が僕を強くしてくれましたし、自分が今度は上の立場になってみて従業員たちとどう向き合うべきか、何か困ったことがあった時にどう助言してあげるべきかなど、実体験を元に対話することができるんですから決して無駄ではなかったんです。

ちなみに、2軒目のサロンの面接には無事に通り、採用してもらうことになりました。そこも大手の老舗店でした。数年後に尊敬する先輩から一緒にやらないかという声をかけていただき、引き抜きというと聞こえは悪いですけど、合流することになったんです。それが現在まで12年間在籍している、airです。

専門学校を出て現在までの約20年間、色んな経験を積んできましたが、最も学んだことは、「長く続けることの難しさ」だと思います。老舗サロンであっても一寸先は闇で、僕が在籍していた店は2店舗とも、経営破綻に追い込まれてなくなってしまいました。うちも例外ではないのですが、過去のものにすがりたがる傾向が美容業界全体にあって、頭が非常に硬い。果たして、世の中の流れにちゃんとついていけてるかは難しいところではあるんですが、現代のニーズに合った仕事の進め方を模索しながらも、実践に移していく努力をしているところです。

>>Vol.2では木村さんのSNS戦略を始めとしたお考えに迫ります。個人で運営するブログは、年間閲覧者数1000万人超え。美容業界に新たなる一手を放ち、勝負をかけた木村流インターネット術とはどのようなものなのでしょうか。
 

(聞き手:永原 由香子 撮影:竹田 靖弘)