関西ジャニーズJrを辞めて単身上京した日 税理士呉村哲弘さんの「ターニングポイント」Vol.2


1日で世界が変わった!関西ジャニーズJr.のオーディションの日。

–ジャニーズ事務所に履歴書を送って、一年後にオーディションに参加できるようになったのですね。

そうですね。自分でも忘れてしまっていましたが、興味もありましたし、オーディションを受けることにしたんです。大阪城ホールではCDデビュー前のKinKi Kidsさんがコンサートをすることになっていました。そこに、私も含めて数百名の子が集められたんですよ。オーディションを受けるといっても右も左も分からないので、言われるがままでした。例えば、ダンスをするといわれても、もちろんダンスをやったこともありませんから、見よう見まねでしかできません。フラフラ動いていました。オーディションに受かるより、興味・関心・経験という感じでしょうか。

オーディション後も、解散の指示が出るまで大阪城ホールで待機していたんですけど、手応えもありませんでしたし、どうせ駄目だろうっていうのが正直な感想でした。でも、少し時間が経ったころに、数人が「よし、それじゃあステージに出てみようか」とスタッフの方から声をかけられました。その中になぜか私も含まれていたんです。

あれ?自分が呼ばれたぞ?と、ただただ驚くしかありませんでした。また、数人呼ばれた私以外の子たちというのは、後の関ジャニ∞のメンバーでした。

そこからは物凄いスピードで物事が進んでいきました。なんと、オーディションを受けてから数時間後にはKinKi Kidsさんのコンサートのバックダンサーとしてステージに立っていたんです。振り付けはわからないので、左右に揺れているだけでしたが、同世代の女の子たちが毎日話題にするようなKinKi Kidsさんのバックにいて、お二人に向けられる大きな声援やパワーを肌で感じ、本当に強烈でしたし、ただただ圧倒されました。

その日から、私は関西ジャニーズJr.の一員になりました。

–オーディション当日にステージに立つとは凄い経験をされましたね。勉強より芸能活動に集中したいと思われたのも頷けるように思います。

確かに、その日からどんどん自分の環境は変化していきました。レッスンを受け続け、先輩のコンサートでもバックを務める経験が増えましたし、活動の幅が雑誌やテレビ、舞台などにも広がり、さまざまな経験をしました。東京で仕事があれば東京に移動しましたし、毎日がとても速いスピードで進んでいきました。

活動を始めてからは大人の意図を理解するのに常に必死でした。立ち振る舞いや写真のポーズなど……。子どもながら彼らがどうしてほしいと思っているのかを頑張って理解して、ただただ目の前のことに一生懸命になって活動していただけでしたが、徐々に周りが変化していくのを感じるようになったんです。

街を歩いていても声をかけられることが増え、プライベートで大阪の街を歩くのが難しくなりました。
家の周りにも、中学校の周りにも、常にファンの女の子たちが待っている状態で、実家や同じ苗字の親戚の家の電話にまで毎日たくさんの電話が鳴り続けました。
注目いただけたのはありがたいことですが、自分自身は何も変わらないのに周りが変わっていく……。このギャップにとても驚きました。

一方、いろいろな経験をさせていただく中で、自分の興味の先は徐々にお芝居に移っていきました。

高校を1日で退学し、16歳で単身上京。注目の若手俳優として活動するも考える「自分のミライ」

–そこで、ジャニーズ事務所を退所され、大手芸能事務所に入られたのですね。

本当に恵まれていたと思います。CM、ドラマ、映画などたくさんの経験をさせていただきました。当時注目されていた同世代の女優さんや俳優さんを始め、たくさんの方と知り合い、切磋琢磨しながら作品を作り上げていくのは本当に楽しく、刺激も学びも多くありました。彼らが頑張っているから自分も頑張ろうという相乗効果もありました。

役者としての活動を続けるうちに、徐々に私自身のことを取り上げていただく機会が増えていきました。このまま真面目にコツコツと活動を続けて皆さんに認めていただければ、自分はもっともっと刺激的な毎日が過ごせるのではないかと集中する日々でした。

でも、役者として注目されるようになったものの、「このままでいいのかな?」と思うようになったんです。自分は本当に芸能活動がしたいのか、役者をずっとやり続けたいのか……。そして、20歳で決断しました。

芸能界を引退する、と。

李相日監督からいただいた忘れられない言葉「10年後にまた会おうな」

–今からというときに引退を決められたのですね。周囲の方たちからは驚かれませんでしたか?

とにかく驚かれました。「芸能界を引退して、大阪に戻る。」と東京の友人たちに打ち明けたら、「急にどうした?」「なぜ?」と言うんですよ。「税理士になるから」と言えば「税理士?」とただただびっくりされました。昨日まで芸能界にいた男が急に税理士を目指そうなどと言い出したんですから、そりゃあそうですよね。

もしかしたら、税理士なんかなれる訳ないとみんなから思われていたのかもしれません。芸能界と税理士、あまりにも極端ですから。でも、やると決めたら一直線になる私は、「人が何を思おうが自分の人生だから」とあまり聞く耳を持ちませんでした。

今でも役者時代に鮮明に覚えている思い出のひとつに李相日監督との出会いがあります。李監督は『フラガール』など有名な作品をたくさん撮られている監督なんですが、李監督は私のことをとても考え、思い、「一緒に頑張ろう、いい役者になるよ」とよく声をかけてくださいました。

しかし、私の事を買ってくださった李監督の映画が私の初主演で最後の作品になってしまったんです。

その後、李監督は引退して大阪に戻った私をわざわざ尋ねてくださいました。その時に一緒に食事をしたんですが「まだまだできる。いい役者になるよ。一緒にまたやりたい」と言ってくださったんです。

また、李監督からは手紙もいただきました。そこには「引き止めることはしない。お前が考えた人生ならそれでいいけれど、もっと一緒にやりたかった」ということと、「また10年後に会おうな」という私の映画のキャッチフレーズが書かれていました。

李監督のその言葉にとても目頭が熱くなりましたし、税理士になって頑張って、お世話になった方々への恩返しをしようと決意したんです。

–芸能界という華やかな世界への未練はなかったのでしょうか?

性格が「決めたら即実行」っていうせっかちな性格なんですよね。おっしゃる通り、芸能の世界は華やかです。でも、演者は多くのスタッフさんに支えられているんです。演者である役者はもちろん実力が大事ですが、運やタイミングによるところもあると思うんです。しかし、ビジネスは頑張れば頑張った分だけの努力が数値化されるんじゃないか?このまま芸能の世界で頑張るのか、それとも人生・キャリアのシフトをするのか……。ずっと悩みました。

20歳といえば、大学に進学している人もいれば、すでに社会人として独り立ちをしている人もいる年齢です。本気でビジネスの世界にシフトするなら、勉強も一からやり直さなければならないといけません。

税理士は仕事の有無での変動が激しい芸能の仕事とは対極の国家資格ですが、ビジネスで自分の真の実力やセンスがそのまま評価されたり、自分のやり方で仕事が進められるところに魅力を感じました。税理士になると決めたからには時間がもったいないので、1日でも早く大阪に戻って勉強する環境を整えなければ!と思ったんですよ。

無我夢中だった私は25歳で税理士に合格することになります。

>>Vol.3では税理士になるまで、そして税理士として東京進出するまでに迫ります。まっすぐに自分の道を一直線に進む呉村さんの奮闘ぶりとは?

 

呉村哲弘
1982年生まれ。大阪府出身。税理士法人OCパートナーズ代表税理士。東京、大阪の2箇所に事務所を構えている。全国の起業家をサポートしたいという思いから、創業時から起業支援に特化。現在は会社設立専門税理士として東京を中心に活躍している。過去には関西ジャニーズJr、俳優など、多岐に渡る活動を行う。
会社Webページ:http://www.oc-tax.biz/platinum.html
会社紹介:https://www.youtube.com/watch?v=GgZDxlwvzDY

(聞き手:永原 由香子 撮影:髙橋 明宏)