『君たちはどう生きるか』が世代を超えて支持される理由


アニメ映画監督の宮崎駿が次回作品として取り上げると発表したことでも大きな話題となった『君たちはどう生きるか』。2017年に発売された漫画版と新装版を合わせて250万部以上の大ヒットとなったこの漫画は、もとは1937年に吉野源三郎氏が発表した作品です。

本作は児童向けに書かれた本ですが、漫画版の人気を最初に牽引したのは30代以上の世代だと言われています。なぜこれだけ幅広い世代から支持を得て、愛されるのでしょうか。

多くの人々が連なった世界でどのような行動を取るべきか

『君たちはどう生きるか』は、人と人とのコミュニケーションの中で起こるさまざまな出来事に対して、取るべき行動の指針となる考え方を教えてくれる1冊です。

主人公はコペル君と呼ばれる中学2年生の男の子です。大人でも多感な中学生時期を思い出し、懐かしさを感じるのではないでしょうか。ある日叔父さんとデパートの屋上に訪れたコペル君は、そこから見た景色で人々が小さく見えたことから、「一人ひとりの人間は、分子のような小さな存在なのではないか」と気づきます。

ちなみにコペル君という名前は、一緒にいた叔父さんがつけたあだ名です。人々が地動説を唱える中、そうした意見に流されることなく天動説を唱えたコペルニクスから取ったものですが、コペル君が感じた「ものの見方」がコペルニクスの大発見と同じくらいの発見だったことが理由です。

人間は分子のように小さな存在で、それぞれの人間同士は波のように繋がりながら生活を送っています。例えば、普段口にする食材ひとつとってみても、生産から流通、販売まで見知らぬ人たちが多くたずさわっており、繋がっていることがわかります。しかし、そうした人々が連なるコミュニティの中にいると、自分の意見を主張するのが難しい場面にも遭遇します。特に、大人になり社会に出ると周囲の同調圧力などによって自分の意見がなかなか言い出せない場面もあるのです。

先ほどのコペルニクスの時代もそうでした。教会が大きな力を持っており、教会の主張と異なる意見を述べると弾圧されることもあったのです。その中で自分の信じた考えを最後まで貫くのか、あるいは波風立たないようにおとなしくしているのか。果たして、自分ならばそんなときにどう行動するでしょうか?

その行動が未来を変え時代をも動かす力を持っている可能性があるのです。

「自分事」として考えるきっかけを与えくれる様々なエピソード

本書は中学校内で起きるいじめや不登校、友人を裏切ったことから感じる罪悪感など、現実の世界でも十分に起こりうる題材を扱っています。また、こうした問題はなにも学生時代に限ったことではなく、社会人になってからも続いていくものです。

あるとき、コペル君のクラスメイトがいじめにあっているときに、正義感の強い北見君が助けようとします。しかし、そのことがきっかけで、いじめっこの兄から目を付けられてしまいます。友人の北見君を守ると約束したコペル君でしたが、目の前で北見君が上級生に詰め寄られているところを見て怖じ気づいてしまいます。

何もできなかった自分のふがいなさと、友人を裏切ってしまったという罪悪感から不登校になってしまったコペル君ですが、叔父さんからもらった手紙に救われます。そこに書かれていたのは、死んでしまいたいと思うほど自分を責めるのは「自分の心が正しい道に進もうとしている」という理由からくるというものでした。

これは権威を持つ人が、ある日突然その地位を剥奪されて落胆するのと同じように、本来自分があるべき姿からかけ離れてしまったことから、辛い気持ちが湧き上がってくるものと同じです。いかにも人間らしい感情の表れだといえますが、同時に人間は、自分のことを「自分で決める力」も持ち合わせています。失敗や過ちは誰にでも起こりうることですが、人間は自らの力でそうした過ちから立ち直っていくこともできるのです。

よくある学園もののドラマならば、見終わった後に「そういうお話もあるよね」といった程度にしか感じられませんが、本書が幅広い年代に愛読されている理由は、それぞれの出来事に対して「自分事」として考えるきっかけを与えてくれるからだといえるでしょう。

自分の人生は他人がマニュアル化することはできない

言い換えれば、本書はいくつかのエピソードを通して、その時に自分がどうするべきかを考えるきっかけを与えてくれる哲学書だといえます。世の中には、「こんなときは○○したほうがいい」といったマニュアル本やネットの情報が溢れていますが、現実では一人ひとりの体験や人生はさまざまであり、マニュアルは当てはまらないのです。

自ら体験し感じた出来事に対しては、自分で解決していく必要があるのです。そのときの考え方のフレームワークとして、本書を参考にしてみてはいかがでしょうか?